つい「顔色をうかがってしまう」わたしとあなた

「顔色をうかがう」

人の顔(顔色や様子、感情)をうかがうこと 人がどのように感じるのか、感じているのか、思われるかを気にすること 相手の心の中を気にしてしまうこと。

実は私の学生時代、いや、社会人3,4年間くらいはこれでした!!

よく、全てが幼少期の環境で決まる時われますが、私の場合はそうではないと思っていて、もちろん幼少期の経験をも含めたとしても、これまで学生時代から過ごしてきた環境や人間関係、その他多数の経験や過程で触れ合ってきたもの・ことの全てから「顔色をうかがう」ニンゲンになってしまっていたのだろうと感じます。

こういったことを、つい2〜3年前から感じ振り返るようになり少し考え方が変わりました。そして、本日ある本に出逢ったのでそれについて書きたいなと思いました♪

その名も「顔色をうかがってしまう私を手放す方法」。
佐々木正悟さんの著書です。

その書籍の中には以下のようなことが書かれていました。
『人の顔色をうかがうとは、客観的評価に怯えるのと同じ意味』

社員にしても「営業成績」や「時間あたりの生産効率」などの数値目標を達成してこそ「自分に自信を持っていい」ということになり、「私は私のままで、ありのままでいいんだ!」というのは悪しき甘えと蔑まれてしまう…。顔入りをうかがうとは、客観的評価に怯えるのと、結局は同じ意味になるのです。

こう書かれていました。もう正にそうだと、ハッとしてしまいました!(笑)

当時は誰よりも資格レベルを上げ、パーソナル時間数を稼いで、誰よりも責任者や資格上位者の真横にピタッとくっついて行動する・行動する回数を稼ぐ!などと考えて自分と消耗しまくっている時期もありました。そうすれば多くの人が私を認めてくれるだろうと思っていましたし、結果を残さないといけないと感じていたところもあります。(その当時はそれが楽しくて、自分を自分で認めることができたということもありますが。)

著書では、これらの何がなんでも誰よりも1番に・誰かに抜かされたらどうしよう…などという、ある種「怯え」から脱却するためには「自分と自分に縁がある人々を無条件で厚遇する」必要があると書かれていました。

自分が好意を持てない「条件」を意識してしまってはうまくいかなくって当然。「自分」のことは、根拠も理由もなしに好意を持つ他ないはずだからです。

「条件」を細かくくっつけているうちに、自分自身はもちろん、相手のことも「甘えさせる」ことが不可能なほどに難しくなってしまい、他人(相手)に対して自然と警戒を抱いて相手の好意が少しにも信じられなくなっていく…。

相手や自分自身を許したり甘えさせたりできる時間をすり減らし、呼吸をしやすい空間を狭くし、心からリラックスして話が伝わる相手を絞ってしまっているのは、いるのは他でもなく、自分自身…。そして自分自身の心なのかもしれません。

もしそうなのだとしたら希望や伸び代があって、自分自身が行う行動や行ってしまった行動を認め許してあげること。そして、価値観や感じ方が違っていても話の通じる人は沢山いるんだ!と思いながら話をすることで自分の心が解放され、たくさんの人と話をすることができるのです!

パーソナル時間数が少なくても1人1人と濃い時間を過ごしているトレーナーもいれば、資格がなかったり少なくても人間性やこれまでの経験値や知識で多くのことを伝えられるトレーナーも沢山います。それらを毛嫌いして話を聞かない・認めないのか、それらの話を聞き相手を理解し、認めて自分自身の意見を交わし合える関係性を広げるのか…。

全ては自分次第!

それを強く感じさせてくれた私の経験やこれまでの過程ならびに、今回出逢った著書。「顔色をうかがってしまう私を手放す方法」に感謝をしてまた明日からのびのびと仕事をしたいなと思いました♪

気になった方は是非1度読んでみてくださいね!!

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